概要
Jun 13, 2006 by Vulputate
「連句」とは、俳諧の伝統的な形式を成していて室町時代では主流となっていた。後に俳諧連歌を表現するための用語になった。この「連句」の名称は、明治37年に高浜虚子が「俳句」や「連歌」と区別するために提唱したもので、提唱後定着していったとされている。室町時代から続く伝統的な形式のため「俳諧連歌」そのものの形式を指すのであるが、もともと「連句」は俳諧形式のことである。俳句が俳諧の発句から生まれて出来たことから「連句」を確立するために「俳諧」の本来の意味を変化させ「俳句や連句」の総称的な用語になっていった。主な形は、五七七の句の後に七七の句を入れ、ここまではよくある百人一首のような形式である。しかし、その句を交互に付けいていくことで三十六(歌仙)・五十句(五十韻)・百句(百韻)等の形となっている。現代の人口は、やはり対照的となる「俳句」が100万人と言われているが、「連句」が数千人と連句人口が少ないのが難点である。